ワーグナー(1813-1883)
楽劇「ニーベルングの指環」
第2夜「ジークフリート」第3幕
さすらい人: テオ・アダム
エルダ: オルトルン・ヴェンケル
ジークフリート: ルネ・コロ
ブリュンヒルデ: ジャニーヌ・アルトマイアー
ドレスデン国立歌劇場管弦楽団
指揮: マレク・ヤノフスキ
録音: 1982年
(15:01/65:17)
今夜はワーグナーの「ジークフリート」第3幕です。
今月は「ジークフリート」を一幕ごとに聞いてきましたが、今回がその最後にあたります。
深夜便55 ワーグナー 「ジークフリート」第1幕 ヤノフスキ
深夜便61 ワーグナー 「ジークフリート」第2幕 ヤノフスキ
ワーグナーは1857年に第2幕までを作曲すると、いったん「ジークフリート」から離れ、「トリスタンとイゾルデ」、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」といった名作を完成しています。ふたたび「ジークフリート」に戻って第3幕に着手したのは、10年以上も経た1869年のことでした。
この中断の事情にはさまざまなことがあったようですが、最大の問題は、「ニーベルングの指環」という大作を演奏する目処がたたなかったことがあるでしょう。しかし、その12年の空白の期間には経済的な問題を解消することが起きています。
1864年3月、ルートヴィヒ2世がバイエルン国王として戴冠、ワーグナーを招聘。放浪の身であったワーグナーは5月4日に王に謁見しています。時にルートヴィヒ2世は18歳、ワーグナーは50歳でした。
ルートヴィヒ2世は「トリスタンとイゾルデ」、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」、「ニーベルングの指環」、「パルジファル」といった作品上演の援助をしたばかりではなく、王国内のバイロイトにワーグナー作品のみを上演することを目的とする劇場まで建てています。
ルートヴィヒ2世は1886年6月13日にシュタンベルク湖にて謎の水死を遂げてしまいますが、当時ミュンヘン大学に留学していた森鷗外はそれをもとに「うたたかたの記」を書いています。ワーグナー、鷗外といったことよりも、ルートヴィヒ2世はディズニーランドのシンデレラ城のモデルともなっているノイシュヴァンシュタインの城主として馴染みがあるかもしれませんね(^^)
ノイシュヴァンシュタイン城内は、ワーグナーのオペラ場面を再現したものに彩られているそうです。今夜は「ジークフリート」最終幕を聞きながら、夢見る王の現実逃避に浸ってみました(≧∇≦)
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