モーツァルト(1756-1791)
歌劇「魔笛」ハイライツ
パミーナ: ルチア・ポップ
タミーノ: ジークフリート・イェルザレム
パパゲーノ: ヴォルフガング・ブレンデル
パパゲーナ: ブリギッテ・リンダー
夜の女王: エディタ・グルベローヴァ
ザラスト: ローランド・ブラハト
モノスタトス: ハインツ・ツェドニック
3人の童子: テルツ少年合唱団員
バイエルン放送交響楽団&合唱団
指揮: ベルナルト・ハイティンク
録音: 1981年
(58:47)
今夜はモーツァルトの「魔笛」です。
「魔笛」は「フィデリオ」とならんで、最も豪華な歌手陣を擁した録音に恵まれていると思います。ただし、両者ともにあまりに豪華すぎて、少なくとも1つの役が弱くなることも共通している気がします。
また、「魔笛」の場合には、脇役に至るまで名歌手が担っていることが多く、驚かされることがあります。今夜はハイライツ盤での鑑賞ですので出番はありませんが、このハイティンク盤では、たとえば武士の一人がペーター・ホフマンであったと記憶しています。
この録音から四半世紀以上が経っていることに驚かされますが、今は亡きポップの可憐にして細やかな情感が織り込まれたパミーナ、若き日の端整なイェルザレム、そしてグルベローヴァのすばらしい夜の女王は比類がありません。
グルベローヴァは後年アーノンクール盤でもっと攻撃的な夜の女王を聞かせてくれますが、私はこの潤いをいくぶん含んだハイティンク盤を愛好しています。私にとって唯一のライヴァルは、若き日のポップ(デビュー盤?)が歌ったクレンペラー盤あるのみです。
60分に満たないハイライツ盤ですが、合唱の夢見心地さも含め、名歌手の共演に存分に浸ることができました。また、ハイティンク&バイエルン放響の真摯な演奏も好感がもてました。
2009/Apr
17
Friday
22:00
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ヘンデル(1685-1759)
「アチスとガラテア」全曲
モーツァルト編曲版(ドイツ語)
ガラテア: バーバラ・ボニー
アチス: ジェミー・マクダゴール
デイモン: マルカス・シェーファー
ポリフィーマス: ジョン・トムリンソン
イングリッシュ・コンサート合唱団
イングリッシュ・コンサート
コンサート・マスター: ペーター・ハンソン
指揮: トレヴァー・ピノック
録音: 1991年
(42:23/61:12)
今夜はヘンデルの「アチスとガラテア」です。
ヘンデルの原曲は台詞が英語ですが、今夜聞いた録音はモーツァルト編曲によるドイツ語歌唱によるものです。合唱は原曲では独唱4人にテノールを1人加えた重唱でしたが、モーツァルト編曲版では別に設けられ、オーケストラもクラリネットやホルンが加わり響が厚くなっています。
ヘンデルの原曲は、オラトリオに分類されることもあるようですが、やはり仮面劇(マスク)というが妥当と思います。モーツァルトの編曲は、合唱を効果的に加えるなど、オペラという趣が強くなります。
モーツァルトがこの編曲を完成したのは1788年11月、最後の交響曲「ジュピター」を作曲した3ヵ月後であり、オペラでは「ドン・ジョヴァンニ」と「コシ・ファン・トゥッテ」の中間に位置しています。
バロック的な要素とモーツァルト的な要素を巧みに昇華させた名演として、私はこのピノックによる録音をとても愛好しています。ボニー、マクダゴール、シェーファーは歌詞の襞に美しく入りこみ、トムリンソンの節度あるドラマ性もポリフィーマスにうってつけでしょう。
前回、「ディドーとエネアス」を聞いた後に、偶然にも今年はパーセルの生誕350年と気づきましたが、あまり話題になっていない感があります。今年はまた、ヘンデルの没後250年ですが、今日はまさにその命日にあたるため、この曲を聞きたくなった次第です。悲劇ではあるものの、最後の合唱に至って幸福に満たされたひと時となりました。
2009/Apr
14
Tuesday
21:00
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パーセル(1659-1695)
歌劇「ディドーとエネアス」全曲
ディドー: アンネ・ソフィー・フォン・オッター
ベリング: リン・ドーソン
エネアス: スティーヴン・ヴァーコー
魔法使いの女: ナイジェル・ロジャース
第1の水夫: ナイジェル・ロジャース
第1の魔女: エリザベス・プライデイ
第2の女: サラ・レナード
精霊: キム・アンプス
イングリッシュ・コンサート合唱団
イングリッシュ・コンサート
コンサート・マスター: サイモン・スタンデイジ
指揮&チェンバロ: トレヴァー・ピノック
録音: 1988年
(53:56)
今夜はパーセルの「ディドーとエネアス」です。
パーセルはその短い生涯に多くの舞台作品を作曲しましたが、厳密な意味での"オペラ"となると「ディドーとエネアス」が唯一となるそうです。私はパーセルの舞台作品は「ディドー」を知るのみですが、他の作品は仮面劇のようなものとなるのでしょうか。
古代ローマの伝説に基づいた「ディドーとエネアス」は、演奏によってその趣がだいぶ変わってくるかもしれません。浪漫的な演奏となれば、恋愛物語としての要素が強調されて、より"近代的なオペラ"の趣となりますし、禁欲的な演奏となれば、格調高い"オペラ・セリア"となるでしょう。
ピノックの演奏は、あきらかに後者であり、音響的な清楚さだけでなく、"悲劇"を概念として捉えるバロック様式を再現して妙と思います。
聴衆に"悲劇"というドラマを巧みに描くプッチーニ、共感をもたらすヴェルディ、聴衆を呑み込んでしまうようなワーグナー、客観的に描くムソルグスキーを最近聞いてきましたが、今夜聞いたパーセルの美感は、時代をだいぶ遡ったにもかかわらず、かえって清冽に聞こえました。なお、今年はパーセルの生誕350年となります。
2009/Apr
12
Sunday
19:00
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ワーグナー(1813-1883)
舞台神聖祝典劇「パルジファル」ハイライツ
パルジファル: ゴットヘルフ・ピストーア
グルネマンツ: ルートヴィヒ・ホフマン
アンフォルタス: C.ブロンスヘースト
花の乙女: インゲボリ・ホルムグレン 他
ベルリン国立歌劇場管弦楽団&合唱団
バイロイト祝祭管弦楽団&合唱団
合唱指揮: フーゴー・リューデル
指揮: カール・ムック
録音: 1927年&1928年
(41:29/68:39)
今夜はワーグナーの「パルジファル」です。
ワーグナーがこの曲を完成させたのは1882年1月13日、初演はその夏にバイロイトで執り行われました。翌1883年2月13日にワーグナーはヴェネツィアで客死していますので、「パルジファル」はまさにワーグナー最後の舞台作品です。
ワーグナーは世を去る直前まで「タンホイザー」の改定に意欲をもっていたようですが、ワーグナーのような規模の大きい作品を主として取り組んでいた作曲家に未完の作が無いことには驚かされます。構想がまとまっていたものにかんしては、すべて完成させることができたのは、ワーグナーにとっても後世の人々にとっても幸運なことでした。
今夜聞いた録音はベルリンとバイロイトで収録された抜粋です。第1幕前奏曲と第3幕の抜粋がベルリン国立歌劇場、第1幕抜粋と第2幕抜粋がバイロイト祝祭で収録されています。指揮は、カール・ムック。「パルジファル」は一時期、バイロイト門外不出の作品となっていましたが、当時この曲の指揮を委ねられていた指揮者の一人がムックです。
今から80年以上も前に収録されたとは思えないほど音は鮮明です。戦後に放送音源をもとに復刻された多くのバイロイトでの録音のように音がこもることがありません。歌手とオーケストラのバランスにも優れています。
そして、なによりこの気高い演奏に感銘を受けます。大袈裟な身ぶりがなく、目がつんだ歌唱とオーケストラは決して大時代的なものではありません。ムックの演奏は、「この時代、あの時代ではなく、すべての時代の『パルジファル』」と絶賛されていたようですが、その"証拠"がここにあると思えます。
抜粋ながら110分も収録されていますが、その1時間以上は第3幕に割かれています。そして、この2枚組のCDセットの最後には、ワーグナーとコジマの息子ジークフリートがバイロイト祝祭を指揮した「聖金曜日の奇蹟」も併録されています。
ドニゼッティ(1797-1848)
歌劇「ランメルモールのルチア」ハイライツ
エンリーコ: アレクサンドル・アガーキ
ルチア: エディタ・グルベローヴァ
エドガルド: ニール・シコフ
アルトゥーロ: ベルナール・ロンバード
ライモンド: アラステア・マイルス
アリーサ: ダイアナ・モンタギュー
ノルマンノ: フランチェスコ・ピッコリ
アンブロジアン・シンガーズ
合唱指揮: ジョン・マッカーシー
ロンドン交響楽団
指揮: リチャード・ボニング
録音: 1991年
(71:47)
今夜はドニゼッティの「ランメルモールのルチア」です。
ドニゼッティは生涯に数多くのオペラを作曲したそうですが、私はごくわずかの作品を知るのみです。その中でも最も有名なオペラの一つが、「ランメルモールのルチア」でしょう。
ランメルモールの領主エンリーコはエドガルドの父を殺害してその城を奪ったという背景をもとに、エンリーコの妹のルチアとエドガルドをめぐる悲恋物語。エンリーコが政略結婚させようとしたアルトゥーロをルチアが殺害した後の、「狂乱の場」がとても有名ですね。
「狂乱の場」といっても、エドガルドとの結婚を夢見て歌う穏やかな曲想で、リヒャルト・シュトラウスの「サロメ」や「エレクトラ」のような過激な狂乱ではありません(≧∇≦) ここはヒロインの聞かせどころであり、フルート独奏との絡みが絶妙なアリアですが、グルベローヴァの歌唱はあまりの巧さに脱帽です。
また、このシーンに限らず、エドガルドの自刃を含め、後世のヴェリズモとはだいぶ筆致が異なります。語弊を恐れずに言えば、ドニゼッティやロッシーニのオペラは、まさにエンターテイメントであり、これが当時のイタリア歌劇の特徴となるのかもしれません。
4月8日の今日はドニゼッティの命日にあたりますが、グルベローヴァのルチアはもちろんのこと、アガーキのエンリーコ、シコフのエドガルドといった共演者もすばらしく、存分にこのオペラを堪能しました。
2009/Apr
08
Wednesday
22:00
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ヴェルディ(1813-1901)
歌劇「ナブッコ」ハイライツ
ナブッコ: マッテオ・マヌグエラ
イズマエーレ: ヴェリアーノ・ルチェッティ
ザッカリーア: ニコライ・ギャイロフ
アビガイッレ: レナータ・スコット
フェネーナ: エレーナ・オブラスツォワ
ベルの祭司長: ロバート・ロイド
アブダッロ: ケネス・コリンズ
アンナ: アンネ・エドワーズ
アンブロジアン・オペラ・コーラス
合唱指揮: ジョン・マッカシー
フィルハーモニア管弦楽団
指揮: リッカルド・ムーティ
録音: 1978年
(64:46)
今夜はヴェルディの「ナブッコ」です。
「ナブッコ」はヴェルディのオペラ作品の3作目にあたり、その知名度を高めた出世作ということで有名でしょう。初演は1842年3月ですから、時にヴェルディ28歳。
序曲と第3幕第2場の「行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って」が突出して有名なオペラですが、それらはヴェルディの若々しい筆致を感じることができるでしょう。
しかしながら、各アリアにも魅力が溢れており、その作曲語法は、後年のヴェルディのスタイルが既にこの時点で確立されていることを思い知らされます。
マヌグエラの題名役も好演ですが、それをギャウロフ、スコット、オブラスツォワ、ロイドといった大歌手がしっかり固めており、殊にギャウロフとスコットは素晴らしい歌唱を披露しています。
今夜は抜粋盤での鑑賞ですので、全曲の半分ほどとなりますが、聞き応え充分の歌手に加え、若き日のムーティの情熱が丁寧さに支えられており、このオペラを堪能することができました。
2009/Apr
05
Sunday
20:00
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レオンカヴァルロ(1857-1919)
歌劇「ラ・ボエーム」全曲
マルチェルロ: フランコ・ボニソーリ
ロドルフォ: ベルント・ヴァイクル
ショナール: アラン・タイタス
コルリーネ: ライムンド・グルムバッハ
ゴデンツィオ: フリードリヒ・レンツ
ムゼッタ: アレッサンドリーナ・ミルシェヴァ
ミミ: ルチア・ポップ
バイエルン放送合唱団
ミュンヘン放送交響楽団
指揮: ハインツ・ワルベルク
録音: 1981年
(71:06/65:15)
今夜はレオンカヴァルロの「ラ・ボエーム」です。
ヴェリズモ・オペラの代表的な作品ともいえる「カヴァレリア・ルスティカーナ」と「道化師」ですが、マスカーニもレオンカヴァルロもこの2曲のみで名を成した感がありますが、二人ともオペレッタを含むと10数曲の舞台作品を遺しているようです。
レオンカヴァルロは文才にも恵まれていたようで、1歳年下のプッチーニの出世作となった「マノン・レスコー」の最初の台本作家としてリコルディ社から紹介されています。しかし、プッチーニはそれに満足することなく、紆余曲折を経て、イッリカ&ジャコーザのコンビに委ねられました。
その後、レオンカヴァルロは、「ラ・ボエーム」の台本作家として、プッチーニに作曲を薦めたものの、プッチーニが興味を示さなかったため、レオンカヴァルロはみずから作曲することを公にします。ところが、プッチーニの気が変わったか、レオンカヴァルロに告げることなく、プッチーニも「ラ・ボエーム」の作曲に取り掛かるのです。
これによって、レオンカヴァルロとプッチーニは絶縁してしまうことになりますが、今日では不義理なプッチーニの作品が圧倒的な評価を得るに至っています。それはそうでしょう、プッチーニの「ラ・ボエーム」はあらゆるオペラの中でも屈指の作品と思いますから。
ところが、レオンカヴァルロの生前は、必ずしも今日と同じような評価ではなかったようです。レオンカヴァルロの名声を決定的としたのは、「道化師」ではなく、「ラ・ボエーム」であるということを何度か聞いた覚えがあります。
プッチーニを比較対象としなければ、レオンカヴァルロの「ラ・ボエーム」も埋もれてしまうには惜しいと思います。大雑把に言うと、前半は軽いタッチで"ボヘミアン"の生活と恋を浪漫性豊かに描き、後半は「道化師」の作曲家らしいヴェリズモとしての性格が顕著になってきます。
また、レオンカヴァルロの場合、ロドルフォはバリトン、マルチェロがテノールとなっており、物語もロドルフォ&ミミのみに比重が置かれているのではなく、殊に前半はマルチェロがムゼッタに一目惚れするシーンから、このカップルがプッチーニの場合以上にスポットがあたっています。
なお、レオンカヴァルロは10年以上も経ってから、これを改定して「ミミ・パンソン」というオペラを遺しているそうですが、残念ながらそれは未聴です。
2009/Apr
03
Friday
22:00
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モーツァルト(1756-1791)
歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」ハイライツ
フィオルディリージ: S. マルジオーノ
ドラベルラ: デローレス・ジーグラー
グィレルモ: ジル・カシュマイユ
フェルランド: デオン・ファン・デル・ヴァルト
デスピーナ: アンナ・シュタイガー
ドン・アルフォンソ: トーマス・ハンプソン
オランダ歌劇場合唱団
合唱指揮: ヴィンフリート・マチェウスキ
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
指揮: ニコラウス・アーノンクール
録音: 1991年
(73:59)
今夜はモーツァルトの「コシ・ファン・トゥッテ」です。
2月からモーツァルト=ダ・ポンテ3部作をハイライツ録音で聞いてきましたが、今夜はこれまでの流れからアーノンクール&コンセルトヘボウの録音を選びました。
「コシ」は「ドン」とならんでモーツァルトのオペラの中でも最も頻繁に聞く曲ですが、かつてはほとんど全曲を通して鑑賞することがほとんどでした。
たとえば「フィガロ」は前半が動、後半が静と大雑把に捉えることが感覚的に可能と思いますが、「コシ」は動と静の対比が絶えずあり、ストーリー展開のスピードに落差があるため、CD1枚にハイライツとして収めるには無理が生じてしまうことが多いからでしょう。
このアーノンクールのハイライツ盤は、その塩梅が巧みと思えます。しかしながら、歌手陣の豪華さは「ドン」や「フィガロ」には及ばないかもしれません。ことに女声陣にそれが顕著ですが、アーノンクールの時として粘る表現も含めて、全体的に暗めの色調となっていると思います。
「コシ」をジョークとして生き生きとしたドラマとするか、人間的なサガを描いて深遠さを追求するか、このオペラは二つの側面を持っていると思いますが、アーノンクールは後者を採っているようです。私は「どちらかが正しい」とする論調にはついていけませんが、そのどちらを以ってしても「コシ」は名曲と思います。
プッチーニ(1858-1924)
歌劇「蝶々夫人」ハイライツ
蝶々夫人: イン・ファン
ピンカートン: リチャード・トロクセル
スズキ: ニン・リャン
シャープレス: リチャード・カウワン
ゴロー: ジン・マ・ファン
フランス放送合唱団
パリ管弦楽団
指揮: ジェイムス・コンロン
録音: 1994年
(77:31)
今夜はプッチーニの「蝶々夫人」です。
ルイージ・イッリカが散文で草稿を記し、それをジュゼッペ・ジャコーザが韻文として台本を仕上げ、プッチーニが作曲するといったトロイカ体制による3部作の最後の作品「蝶々夫人」は、日本が舞台となりました。
「ラ・ボエーム」、「トスカ」を経て、「蝶々夫人」ではプッチーニの音楽的な表現がさらに練られていると感じられますが、それと同時に、ヒロインへの歌唱的な要求も高くなっています。
最後までほとんど休まずに出番がある喋々さんは、それを歌うソプラノにとって相当なスタミナが要求されるでしょう。しかも、気丈さだけでなく可憐さもないとこの役へのイメージが壊れてしまいます。
今夜はハイライツ盤で中国人ソプラノのイン・ファンが題名役を歌う録音を聞きましたが、力強さでは往年の名歌手に及ばないかもしれませんが、その清楚な歌声に魅了されました。「ある晴れた日に」のごく一部では、その発声に疑問もありましたけれども。
トロクセルのピンカートンをはじめ、コンロン&パリ管の洗練されたサポートも好感がもてました。
「喋々夫人」は、日本人にとってある意味で「時代劇」を観るような趣が交錯してしまうことがないでしょうか? そこがこの曲を全曲として鑑賞する難しさもあるような気がするのですが、ひたすら音楽に集中すれば、プッチーニの魔力に囚われるばかりです。
2009/Mar
29
Sunday
00:00
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