今夜はレオンカヴァルロの「ラ・ボエーム」です。
ヴェリズモ・オペラの代表的な作品ともいえる「カヴァレリア・ルスティカーナ」と「道化師」ですが、マスカーニもレオンカヴァルロもこの2曲のみで名を成した感がありますが、二人ともオペレッタを含むと10数曲の舞台作品を遺しているようです。
レオンカヴァルロは文才にも恵まれていたようで、1歳年下のプッチーニの出世作となった「マノン・レスコー」の最初の台本作家としてリコルディ社から紹介されています。しかし、プッチーニはそれに満足することなく、紆余曲折を経て、イッリカ&ジャコーザのコンビに委ねられました。
その後、レオンカヴァルロは、「ラ・ボエーム」の台本作家として、プッチーニに作曲を薦めたものの、プッチーニが興味を示さなかったため、レオンカヴァルロはみずから作曲することを公にします。ところが、プッチーニの気が変わったか、レオンカヴァルロに告げることなく、プッチーニも「ラ・ボエーム」の作曲に取り掛かるのです。
これによって、レオンカヴァルロとプッチーニは絶縁してしまうことになりますが、今日では不義理なプッチーニの作品が圧倒的な評価を得るに至っています。それはそうでしょう、プッチーニの「ラ・ボエーム」はあらゆるオペラの中でも屈指の作品と思いますから。
ところが、レオンカヴァルロの生前は、必ずしも今日と同じような評価ではなかったようです。レオンカヴァルロの名声を決定的としたのは、「道化師」ではなく、「ラ・ボエーム」であるということを何度か聞いた覚えがあります。
プッチーニを比較対象としなければ、レオンカヴァルロの「ラ・ボエーム」も埋もれてしまうには惜しいと思います。大雑把に言うと、前半は軽いタッチで"ボヘミアン"の生活と恋を浪漫性豊かに描き、後半は「道化師」の作曲家らしいヴェリズモとしての性格が顕著になってきます。
また、レオンカヴァルロの場合、ロドルフォはバリトン、マルチェロがテノールとなっており、物語もロドルフォ&ミミのみに比重が置かれているのではなく、殊に前半はマルチェロがムゼッタに一目惚れするシーンから、このカップルがプッチーニの場合以上にスポットがあたっています。
なお、レオンカヴァルロは10年以上も経ってから、これを改定して「ミミ・パンソン」というオペラを遺しているそうですが、残念ながらそれは未聴です。
PR